テレビ局の内定を勝ち取る驚きの方法とは?
私は、学生時代ろくに勉強をしてきませんでした。
将来のことなど、何も考えていなかったからです。
230倍率のテレビ局内定を手にした就職浪人生の秘密今考えると、本当に不思議なのですが
将来への不安など微塵もありませんでした。
理系の学部に所属していた私には
大学院という選択肢があり、
大学院終了までの期間が、自分には半永久的にある
きっと、そう感じていたのでしょう。
しかし、そんなお気楽な考え方は
この”事実”で打ち砕かれることになるのです。
大学院不合格。
学部生時代、ろくに勉強をしてこなかった私には
当然の結果でした。
しかし、それまで挫折という挫折を味わったことがなかった私には
”大学院不合格”の烙印はあまりにも衝撃的でした。
それと同時に自分に与えられた”就職浪人生”の肩書き。
もともと、自分の専門職に興味がなかった私にとって”大学院不合格”は
よくも悪くも私に
自分の進路を見つめなおす機会を与えてくれました。
そして、そんな中
ふと、すずろにテレビを見ていたときのことでした.
そのテレビのなかで
フジテレビの新入社員の入社式の模様が放送されていたのです。
華やかなテレビの世界。
キラキラ笑顔の進入社員。
そして、そこには人気番組”はねるのとびら”のメンバーが
新入社員激励のために、入社式に飛び入り参加していたのです。
これだ!!
これが、私のテレビ局志望を決意した瞬間でした。今思えば、この上なく安易な業界選びの動機でしたが
その日から、私は気持ちを切り替えました。
テレビ局に入社するために必要なものは何なのか?
何をすればテレビ局に採用になるのか?
私は血眼になって一生懸命に調べました。
動機こそ不純でしたが、
私には”テレビ局入社”以外に道はありませんでした。しかしながら、もちろんご存知のことと思いますが
テレビ局に受かるためには様々な条件が必要でした。
東京大学、早稲田大学、慶応大学出身の超高学歴のライバル達
そして、三ケタが当たり前の競争倍率の高さ。
地方の三流大学で留年した私が内定を勝ち取ることなど
夢のまた夢のように思えました。
まず、なにも知らない、なんの対策もできていなかった私は
東京のマスコミ塾に通うことにしました。就職浪人生だった私は、卒業のための単位を全て獲得していたので
東京に住居を移すことはそれほど難しいことではありませんでした。
そして、信じられないかもしれませんが
私はここに来て初めて新聞を読むようになったのです。
そんなレベルだった私。初めてマスコミ塾の戸を叩いた時、
今までの自分の行動全てを強く後悔したことを今でも覚えています。
その塾には、あらゆるマスコミ志望者が集って勉強をしていました。
テレビ局志望者、新聞社志望者、出版社志望者…
なかでも一番多いのがテレビ局志望者でした。
そして、テレビ局志望者は塾の中でも
優秀で高学歴な人達ばかりがそろっていました。
しかし、一般的な倍率から言って
テレビ局採用はその中で1人いればいい。
塾の先生はそんなことを言っていました。
「このメンバーの1位になってもまだテレビ局採用には距離があるのか…」
私はいつもそんなことを考えては落ち込んでいました。
そんなライバル同士の私たちは、塾の帰りは決まってテレビ局志望者同士で
近くのファミリーレストランで勉強会を開いていました。
しかし…。
ある日の勉強会。
私は彼らの中の一人に
目標であるテレビ局内定の夢を断念するには
十分すぎる厳しい言葉を浴びせられました。
もともと自信などない私でしたが、
この言葉を聞いて、なんだか全てが悪夢のように思えてきました。
そして、自分がテレビ局など受けようとしたことがそもそもの間違いだと
初めて心の底から後悔をしました。
しかし。
地元の大学の研究室の教授や先輩に啖呵を切って東京に出てきた私。
なにがなんでもテレビ局に内定を勝ち取るしかなかったのです。
気がつけば、キー局の採用は終了し私は焦りに焦っていました。
その頃までには、必死に猛勉強し筆記試験の模擬試験でも
そこそこの結果を出せるようになっていました。
しかし、他のテレビ局志望のライバルたちと自分の”差”は
どうしても埋めることができませんでした。
やっぱり、このまま勉強したところでこの差が埋まるわけがない。
そう感じて日々を過ごしていたある日。
塾で唯一の同い年のA子が、私を飲みに誘ってきたのです。
A子は早稲田大学の大学院生で、私と同じテレビ局志望の生徒でした。
しかも、優秀な人が多いテレビ局志望の生徒の中でも
彼女はいつも成績トップ。
私はいつもA子をうらやましく、
また、A子に嫉妬していました。
しかし、同い年のよしみからか
彼女は不思議と私に優しく、いつも声をかけてきてくれていたのです。
そんな彼女から飲みの誘いを受けた私は、
その誘いに応じ、塾帰りにそのまま近所の居酒屋に入ることになりました。
そこで、私は衝撃の事実を知ることとなるのです。
飲み屋さんに着いた私とA子。
生ビールを2つ頼んだ後、A子は突然、衝撃的な事実を私に述べてきました。
A子:
「私、○○テレビに内定決まったよ!!」
私:
「えっ??」
突然のA子の発言に
私は戸惑いを隠すことができませんでした。
戸惑いどころか、一瞬顔が曇ったと
A子はいまでもそのことをネタに私をいじめます笑
とにかく、ショックを隠せなかった私は、
素直にA子を祝福することができませんでした。
それどころか、塾の一人がテレビ局内定を勝ち取った事実から
私のテレビ局内定の夢は終わった…
そうとまで思いました。
そんな、言葉を発することができない私に
A子はこんな言葉をかけてきました。
A子:
「年齢は関係なかったんだよ。だから池田君も頑張って!!」
私は、一気に頭に血がのぼり
こともあろうかこんな言葉をA子に浴びせてしまいました。
私:
「A子はいいよ、早稲田大学の大学院生なんだから。 どうせ、学歴にはかなわないんだよ。 もういいよ、
テレビ局内定なんて俺には夢のまた夢だったんだよ。」
私は、無神経に内定の報告をしてきたA子と
それ以上に無力な自分とどうしようもないことを口走った私自身への怒りとで
目から涙があふれてきました。
それを見たA子は、私に優しくこういいました。
A子:
「諦めちゃダメだよ、池田君。
池田君は充分に魅力がある。
断言はできないけど、私は池田君内定を勝ち取れると思うよ。
それに、テレビ局内定は学歴だけじゃないよ。
実は私、早稲田大学の大学院所属って言ってたけど
それは嘘で、実は○○○○大学の大学院生なんだ。」
そう。彼女は塾で早稲田生といった彼女。
実は私と同じ3流大学の学生だったんです。←A子ごめん
驚きで何もいえない私に、A子はさらに続けました。
A子:
「実は私ね、
○○出版の内定ももらったの。
実は、○○出版の編集部に私の大学の先輩がいてね。
私、入社試験の前にその先輩のところにOB訪問に行ったの。
そして、どうやったら先輩みたいに内定を勝ち取れるのかを聞いたの
そしたら先輩がね、○○○をすることを進めてきたの。」
私:
「えっ!?○○○をするの?」
A子:
「そうなの。私も最初、そんなので受かるのかなって思ってたんだけど、
実際にやってみたら、出版社の内定もらっちゃって。
それで、これってテレビ局でも通用するかなって思って
ダメもとでやってみたのよ。
そしたら、なんとテレビ局の内定もらえちゃったんだ。
だから、池田君も頑張って。
そして、よかったらこの方法試してみてよ。」
私は、再びテレビ局内定への闘志に火をつけたことは
今でも忘れられない思い出です。
次の日から私の○○○への準備が始まりました。
A子のアドバイスを受けながら
私は次に試験がある●●テレビの対策が始まりました。
私は、一週間後に控えた●●テレビの試験に向けて
○○○の準備を必死に行いました。
○○○に関する本を読み漁り、
A子の先輩である○○出版の編集部の方に会い
直々にアドバイスをいただきました。
そして、待ちに待った●●テレビの入社試験の日。
私は準備してきた全てをぶつけました。
そして、
結局、その年の塾の中でのテレビ局内定者は私とA子の二人だけでした。
あまりの衝撃に、塾のテレビ局志望者たちには怪しまれ、
もともと疎遠でしたが、全く連絡を取らなくなってしまいました。
しかし、塾の先生は大喜び。
「池田は天才だ」とまで豪語していました。
しかし、もちろん私は天才ではありません。
あとで人事から聞いた話ですが、
筆記試験の結果は、全体でも下から数えたほうが早く
内定者の中で最下位だったそうです。
テレビ局内定のためには、一般的には
・(テレビ局に)関係する本をかたっぱしから読む
・SPI対策
・論文や面接の試験対策に重点を置く
これらの勉強、また対策を施します。
これらのことがきちんとなされ、
また学歴が高い人なら
高い確率でテレビ局に内定をもらうことができるでしょう。
しかし、実は”裏技”ともいえるべき方法があるのです。
それが○○○をすることなのです。
230倍率のテレビ局内定を手にした就職浪人生の秘密ダメ学生でも230倍という驚異のテレビ局の内定を勝ち取る驚きの方法とは?オフィス2010 ワード・エクセル・パワーポイント・アクセス動画パソコン教室 ワード エクセル